LDR編 day2
そしてまた朝が来ました。
当直の先生に今日産みましょうと言われ緊張が募るばかり。
AM9:00
ついに陣痛促進剤が入りました。
もう陣痛促進剤が入ったあとの陣痛は以前の陣痛と比べ物にならないほど
痛かったです。
子宮が雑巾絞りされているかのような痛みがじんじんと10分間隔から8分間隔へ移行していきました。
しかし、なかなか子宮口が4㎝から広がらず、
分娩台はリクライニング可能なのですが、先生から
直角90度で座るか、立っていて(スパルタ指導)が入り、
直角90度で座ることにしました。
赤ちゃんの頭をなんとなく感じながら過ごしました。
AM11:00
担当医のお出ましです。
「今、子宮口がまた6cmです。産む気ありますか?もう帝王切開と同時で
進めるしかありません。昼食・水抜きでお願いします。
あと、体内に便があるのでとっとと出して下さい。」
ここから、少し頭が朦朧としていて、もう先生に従うしかないんだと思っていました。
(恐らくここから思考能力が低下しています)
言われた通り、お腹をぐるぐる回す体操をして、便を自然に排出して産道を広げました。
PM4:00
何とか子宮口が8㎝になりましたが、いまだに水なし。
体には点滴で水がいっぱい(口は乾く)入っていました。
もうレントゲンを撮ったり、同意書をバンバン書いていました。
だんだん早く産みたいから先生許してくださいという気持ちに切り替わっていきました。
最終的には子宮口全開まで直立で耐えました。
PM6:00
やっと担当医の内診で、子宮口全開を確認しました。(絶対げんこつ入れられた)
「よく頑張ったね。もう帝王切開は考えてないから水飲んでいいよ」
「ありがとうございます」
「ん。ちょっとまって赤ちゃんが元気すぎて1回転で良いところを、1回転半回ってる。
四つん這いになって、今度はいきまないで耐えて。」
「え」
四つん這いの姿勢なら、回転が戻る可能性があるらしいとのこと。
その際に、ほぼ私は一人でその姿勢でいきみたい気持ちを抑え、深い深呼吸を意識していました。
しかし、いつまでこの姿勢をやったらいいかわからず、ナースコールを押すのも
助産師さん忙しくてきてくれないかな。などど最初は考えていたのですが、
いやこのナースコール押さないと二人とも死ぬと決心がつきがんがん押しました。
このときに、私の心に別人格のような何かが芽生えました。
(ちょうと他のLDRでお産がもっと進んでいたらしく私は放置されました)
時間はかかりましたが、助産師さんがあとから来てくれて医師の内診を終えた後、
自然分娩は諦め、吸引分娩で産みましょうということになりました。
PM9:30
いきみを早々に終えた後、分娩に向かってLDRに沢山の医療従事者が終結しました。
(10名ほど)
私は場面展開が変わりすぎて、私手術室にいたっけ?ここどこ?
なんて思っているうちに、お腹をぐいぐい押され、赤ちゃんの頭にカップを装着され
2いきみで赤ちゃんが出てきました。
「おひゃーおひゃー」
感動と私の足は寒くて震えていました。
吸引分娩で会陰切開(局所麻酔あり)を縫合をされながら赤ちゃんをぼんやりみていました。
そして、体感的に女性ホルモンがゼロになった気がしました。
やっと二日かかったけど産めたんだ。
これからはマタニティの入院生活はごほうびだと思っていました。
(出産が壮絶だったので)
そのときの担当助産師が産んだ直後の病棟に移動する際に車いすを使いますか?と言われましたが私は会陰切開をしていたため、ふらふらになりながらも歩きました。
なんだか意識は朦朧としていましたが、しっかりしなきゃとう気持ちでいっぱいでした。
そのときにシャワーは24時間後だから翌日のPM9:30以降だけど、
AM7:00以降がおすすめと言っていて、なぜ7:00以降ではなければいけないのか
聞く元気がありませんでした。
(これがのちの後悔の始まりですが)
病棟の部屋についた際の説明は、病室に鍵はなく貴重品のみ鍵がかかる戸棚がありました。
どういう入院生活をするのか聞きましたが、パンプレットを見れば良いとのこと。
私は室内の案内とパジャマやタオルを取りに行く場所のみ説明されました。
パンレットをちらっとみたら母子同室は8時間後からとあり少々プレッシャーを感じながらも、眠りにつきました。
あとがき
もう後悔しかない。
助産師さんがあの一番きついときずっと傍にいてくれたら。
私の人格は変わらなかったんだ。病気にはならなかった。
そう思っています。
次回 マタニティ入院生活編