精神科病棟に入院してみた

同じ病気を抱える方やママの心に刺さる内容を発信します

自宅編

マタニティの病棟では言いたいことを言いまくって

何とか退院した。

そのころに荷物の整理が自分でできなくなり、ヘルパーさんにお願いした。

(もともとそのサービスがあるのは分からない)

夫には、病院で大暴れしてやったと明言した。

 

やっとの思いで、タクシーにのり自宅に帰宅した。

家に帰ると、自分の家は見慣れているのに

見たことがないような不思議な感覚があった。

入院が長いとこんな感覚なのかと思いあまり意識しなかった。

 

育児では、ラッチオン問題に悩んでいたが明日母親がくるので

何とかなるだろうという気持ちになった。

 

実際に家で育児をしてみると、記録をつけろとうるさく言う人はいないし、

3時間3時間と時間に追われる感覚がなかったので、楽だった。

急に肩の荷ががくんと下りた感覚になった。

今までずっと緊張していたことに気がついた。

だんだんと手が震え始めたり、体が寒い気がしてきた。

自分の体調がどんどん悪くなりはじめた。

 

そして、夫とは初めて夫婦喧嘩をした。

内容はマタニティの退院時にマタニティの責任者から

あなたの奥さんはうつ病かもしれないので見張っておいて下さいと言われたそうだ。

私は病気の自覚がまったくなかったので、見ず知らずの女性のいうことを聞くのか

と迫りました。

夫はだだ言われただけで、信じていないと言っていました。

 

そのころから主語がないと誰が何を言ったのかわからなくなってきました。

もう疲労が限界まできていたので、夜間授乳は夫にお願いして私は寝ました。

 

あっという間に両親がくる時間になり、

そのころにもまた夫と私が喧嘩をしてしまったため

私は家を飛び出すように駅まで両親を迎えに行きました。

出かける際中、横断歩道に飛び出しそうになりましたが

赤信号だったためなんとかふみどとまりました。

気が付いたら目から涙があふれ出していて、改札前で号泣していました。

子供のようにわんわん泣いてしまって止まらなかった。

私の理解者に早く来てほしくてしょうがなかった。

 

両親が来るのが遅かったので、駅前のマックでコーヒーを飲むことにしました。

久しぶりのマックはとても刺激的な建物に感じました。

まるでパーティー会場のように人がいっぱいで不思議だと思っていました。

コーヒーを頼みましたが、私の後ろに長蛇の列を作っても申し訳ないと

感じないようになりました。(出産前なら申し訳ない気持ちでいっぱいでした)

私は泣きながらコーヒーを飲み、両親を待ちました。

しかし、両親は一向に現れなかったので

我慢できず夫の姉に電話をしていた。

義理姉は3か月前に2人目を出産したばかりだったため私の気持ちが分かってくれるだろうと思っていた。

夫が私の出産の苦しみをわかってくれなかったといった内容を伝えたが、

回答はそりゃ男の人は出産の痛みなんてわかんないよといったものだった。

私は共感重要視人間になってしまったらしい。

ちなみにお姉さんはスポ根で産めたらしい。

拷問に耐え忍んで産んだ私とは感覚がまるでちがった。

病院の対応にも問題があることを伝えるも私にも非があるのではないかという指摘から

涙が干上がっていった。

やはり100%味方でいてくれるのは両親しかいないと思い、電話を切った。

 

そうしている間に両親がきたため、今までの顛末を説明し夫を怒ってほしいと

力説していた。

父からも説明があったが、1人目のお産はあまり進まないらしくお母さんのときもそうだった話を聞いてなんだか安心した。

母は一度訪ねるつもりだけだったが、自宅にずっと泊まることになった。

(私の様子がおかしかったため)

両親が来たことで緊張の糸がまた切れていった。

母と一緒に子育てをしたことで、これからやっていけそうな自信を持てた。

そのころから、あまり食べ物が食べられなくなったり

同じ話を何回も繰り返してしまうことがあった。

ついには酸素不足を感じて倒れ、救急車を呼んだが運んでもらえず

(酸素は足りているとのこと)

そのまま自宅で過ごしていた。

夫からやはり精神科で見てもらおうと改めて言われた。

私は受診するとしても外来を希望していた。

では、明日病院に行こうということで話がまとまった。

 

次回 救急搬送編