ユキちゃんとの出会い
なんでかよくわからないけど医師の判断で1時間の自由時間が与えられました
看護師さんからは外に出てみますか?と言われ
とにかく部屋以外の景色が見たかったので看護師に従った
部屋を出るとホールがあり、皆自由に水やお茶を飲みながらテレビを見ていた
看護師いわくテレビは刺激になるのでつらかったら1時間が経たなくても
ナースステーションに声をかけて部屋に連れて行ってもらうように声をかけてほしい
廊下をぐるぐる回って散歩をするのもありと言ってくれた
私はとりあえず廊下を歩いた
廊下の掲示物からは必要な情報を入手した
ここは精神科病棟 献立のメニュー 貸出図書
一番ショックだったのは自分がやっぱり精神科病棟に入院しているという事実だった
頭でなんとなく理解していたが文字に起こされるとやはりショックだった
ってことは廊下ですれちがう人たちも心になにか問題を抱えている人
(やばい人たちなのかな?)と思った
人生終わったと思い、ホールの椅子に座りテレビを見ることにしました
テレビでは○○のマニアさんという番組がやっていて私はふと
自分がアニメオタクであったことを思い出しました
刺激ってこういうことかなんておもいつつ、いざCMに移ると
赤ちゃんの紙おむつが流れてきて子供の姿を見ると涙が溢れました
あれ?私なんで泣いているんだろう?
そっか私子供をこの病院で産んだんだ なんで子供に会えないんだろう
少し泣いた後に
北海道 小樽での旅特集に移りました
ぐわっと記憶が呼び覚まされ、私夫と小樽に旅行に行ったことある
懐かしい!!と思い、つい声が出ていました
「うんうんそうそうこんなところ行ったなあ」
すると後ろから同じことを言っている人が
後ろを振り返ると50代くらいの女性が居ました
私は思わず声をかけて
「小樽好きですか?」
「そう私も行ったことあるの!!」
そこから意気投合して、お互いに自己紹介と年齢を公開しました
そのときにもう一人話せる友達ができて、なんだか気分が軽くなりました
あっという間に1時間が経ってしまい、看護師さんが来ました
2人にまたねと別れを告げ、私は保護室に戻りました。
部屋に帰った後は精神科病棟にいる現実を受け入れつつ、ユキちゃんってどこか
見たことがあるな。なんだろう。
そっか、私の死んだ祖母にそっくりだ(母方)今度ユキちゃんに教えてあげよう
また会えるのが楽しみだなあ。
あと部屋はやっぱり変えてほしいから医者と話さないとダメだ
そう思った
味気ない入院生活に彩りが出てきました
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後日、またユキちゃんに会うと私の死んだ祖母に似ていることを伝えると
喜んでいました(あと私の母と年齢が一緒)
あと入院生活について色々聞きました
精神科病棟にいる人は皆心が優しいから心配しなくて大丈夫
ここの部屋は経過がよくなるごとに
保護室→個室→大部屋→退院
となるそう
(ちなみにユキちゃんは大部屋でした)
なんでも医師の許可が必要
ペンや紙を使用する許可 テレフォンカードを使用する許可など
少しずつよくなるように過ごそうねと言ってくれた
そして私の入院施設案内の紙に
のんびりであったかくすること
私の人生は前向き
子育てを楽しむ
と書いてくれた
そしてユキちゃんに出産やマタニティ入院での出来事を伝えると
あなた苦労したのね大変だったわねと共感してくれました
私は心の底からの共感をずっと求めていたんだと気が付くことができた
また通常の出産だったのならなんで今入院しているんだろうねという話になり、
病名が気がかりになりました
ユキちゃんともう病気じゃないのかもねなんて話しつつ
主治医に病状説明を求めることを決意した