精神科病棟に入院してみた

同じ病気を抱える方やママの心に刺さる内容を発信します

マタニティ入院編 3日目から最終日

朝目覚めると、胸が岩みたいに痛かった。

助産師に聞くと、前日あまり授乳をしなかったからだ。

そして、もうここから赤ちゃんには母親がいなければと思い込んでしまった。

新生児黄疸もひどいし、ミルクが全然足りていなかったみたいだ。

人に頼らず、自分の力でやろうと決心した。

 

授乳では特にラッチオン問題に苦労していた。

ラッチオンとは乳首をくわえさせることだ。

なかなかうまくいかず、赤ちゃんの口が小さいからですね。

こんな口が小さい子みたことないと言われた。

こんなことを言われてもしょうがないんだと自分を信じ込ませていました。

母乳が出るのに、くわえられなかったので

手搾乳という作業が増えた。

手搾乳するのは胸が痛くなった。

そして、

手搾乳(何ミリ)→ミルク(何ミリ)

これを記録して、数字を計算することがしんどいと思えてきた。

記録を書き忘れると、なんで書かなかったんですか

これくらいやってくださいと怒鳴られた。

私はテストの問題をやっているのか育児をしているのかわからなくなった。

このころから、病室に鍵がかからず業者や回診の医者などはどんどんくるので

部屋にどろぼうが入ってくる感じがずっとしていた。

疲労度は0時まで残業したときのようなけだるさを感じていたがなんとか耐えた。

 

そして退院時診察を迎えることになった。

4日目

私は、診察室に行き

分娩台で吸引分娩の傷を見せた。

傷が痛くてしょうがないので、ロキソニンをありったけくださいと言ったが

10日分しか出せない。そんなに痛くないはずだと言われ、それ以外の場所が悪い可能性があると言われた。

私は、それを聞いて感情が爆発した。

「ずっと分娩中先生が怖かった。

出産してから人生観が変わって人見知りだったのが、社交的に明るくなった。

出産ってすごいんですね。」

「そこまでの経験をする人はいません」

そう言われて大人気もなく泣いてしまった。

医師からは

「休養をとってください」と言われた。

私は病棟に戻り、日中は赤ちゃんを新生児室に預けっぱなしにした。

もう限界なのだと思いまた母親に電話した。

 

夜勤担当の助産師は、新生児室にいた我が子を連れてきて世話をしろといってきた。

私は休養をとれと言われたので夜は無理だと伝えたが、それでもやりなさいと言われた。もうこの病院に入院した以上この人の言うことをきかなければならないんだと

思い、残る力を振り絞って世話をした。

(あとから分かったことだが夜勤の助産師に休養が必要なことは伝わっていなかった)

そのときに心にヒビが入った音がした。

もうお母さんになったから心の声は無視しようと決めた。

 

退院日当日

なんとか3時間ルールを守り、ラッチオン問題を抱えながら退院することになった。

部屋に医師が来て、急に

「あなたは心の病です。何曜日に受診しますか」

私の頭は真っ白になった。

もう今が何月何日何曜日なのか分からないし、私が心の病?

冗談でしょ。

端的に言うと私は医師にキレてしまった。

どんな言葉で罵ったのか覚えていない。

医師は諦めたような顔をして去っていった。

 

時がどれくらい経ったのかわからないが眼鏡をかけた女性がきた。

どうやら退院時担当責任者らしい。

もうこの際だから病院の不満を全部ぶちまけてしまおうと思った。

医師が患者に冷たいこと

助産師が心に寄り添った対応をしてくれなかったこと

全体的に説明不足なこと

 

私は大きな声を出すつもりはなかったが、どうやら大きな声で話してしまったらしい。

女性は私の話を傾聴して、もう寝なさいと言ってくれた。

どうやら寝不足だったらしい。

やったーと喜んでベッドに寝てしまった。(子供は新生児室に預けた)

退院時のめんどうな手続きは、マタニティ責任者と夫とでやってもらった。

 

私は1時間ほど本当に寝てしまった。いままでの入院生活で一番寝た気がした。

最終的に別れ際には感動っぽくなりいつでも子育てのことで悩んだら

相談していいと言われた。

建前かと思ったが、額面通り返事をした。

通常11時に退院するところが16時になってしまった。

(とんだクレーマーだ)

もう、病院でゆっくりすることはできなかったが

家でゆっくりできればいいと思った。

 

次回

自宅編につづく

 

あとがき

相当病んでますね。そりゃ心の病ですって言われるわ。

(言い方がむかつくけど)

心が疲れていませんか?とかもっと言い方があると思うんですよね。

幻聴が聞こえてたから言えばよかった。

なんとかマタニティ編が終わったので次回は自宅編です。