精神科病棟に入院してみた

同じ病気を抱える方やママの心に刺さる内容を発信します

牢屋の中

1月31日

まるで牢屋にいる気分だった

何も自由がない

すべてやることに医師の許可がいる

ただ私は窓から見える緑を眺めることしかできなかった

 

ふと自分が救急搬送された前日の様子を思い出してみた

 

夫がうつ病の本を読んでいて驚いた(ちなみにうつ病ではなかった)

夫と喧嘩をして行けと言われたのを出ていけと言われたと思い

家を飛び出した

人と目を合わせないほうが落ち着く

正直なことしか言えない

逆に人が嘘(建前)を言っているかどうか見抜けるようになった

マタニティの入院で頑張りすぎた?

テレビやネットが怖い 興味がない

 

今までの自分ではないような感覚だけはあり、別人になってしまったのか

何なのか分からなくなった

 

 

そして医師の診察で病院が怖いというと

なんで怖いんですか?と聞かれた

私はマタニティの入院でとても嫌な思いをしたからこの病院が嫌いだし、

出られないことがつらい。

入院自体やめてください

そう答えられたときに、やっと部屋の移動が許された。

 

保護室という牢屋から出て、初日の個室に戻ることができた

 

私の入院生活は病気を少しずつ受け入れることで自分の人生を見つめ直していた

そのお手伝いをしてくれたのがユキちゃんでした

 

病状説明

私は主治医に病状説明を求めました

結論から言うと産褥期精神病と診断されました

あなたは病気です。3か月かけてしっかり治しましょうと言われました。

ただのマタニティーブルースだと思っていた私はただのうつなんじゃないの?

入院するほどでもないんじゃない?と言いましたがダメでした。

 

こんなところに3か月もいられないと思いながら生活に必要なものは

家族に伝言を書けばもってきてくれるそうなので、伝言を書きました。

 

医師の病状説明を聞いたことで、入院に対する覚悟が決まりました。

入院している部屋は薄暗くて一人ぼっちで寂しかったです。

また家族と会えることを信じて乗り越えようと思いました。

ユキちゃんとの出会い

なんでかよくわからないけど医師の判断で1時間の自由時間が与えられました

看護師さんからは外に出てみますか?と言われ

とにかく部屋以外の景色が見たかったので看護師に従った

 

部屋を出るとホールがあり、皆自由に水やお茶を飲みながらテレビを見ていた

看護師いわくテレビは刺激になるのでつらかったら1時間が経たなくても

ナースステーションに声をかけて部屋に連れて行ってもらうように声をかけてほしい

廊下をぐるぐる回って散歩をするのもありと言ってくれた

 

私はとりあえず廊下を歩いた

廊下の掲示物からは必要な情報を入手した

ここは精神科病棟 献立のメニュー 貸出図書

一番ショックだったのは自分がやっぱり精神科病棟に入院しているという事実だった

頭でなんとなく理解していたが文字に起こされるとやはりショックだった

ってことは廊下ですれちがう人たちも心になにか問題を抱えている人

(やばい人たちなのかな?)と思った

人生終わったと思い、ホールの椅子に座りテレビを見ることにしました

テレビでは○○のマニアさんという番組がやっていて私はふと

自分がアニメオタクであったことを思い出しました

刺激ってこういうことかなんておもいつつ、いざCMに移ると

赤ちゃんの紙おむつが流れてきて子供の姿を見ると涙が溢れました

あれ?私なんで泣いているんだろう?

そっか私子供をこの病院で産んだんだ なんで子供に会えないんだろう

少し泣いた後に

北海道 小樽での旅特集に移りました

ぐわっと記憶が呼び覚まされ、私夫と小樽に旅行に行ったことある

懐かしい!!と思い、つい声が出ていました

「うんうんそうそうこんなところ行ったなあ」

すると後ろから同じことを言っている人が

後ろを振り返ると50代くらいの女性が居ました

私は思わず声をかけて

「小樽好きですか?」

「そう私も行ったことあるの!!」

そこから意気投合して、お互いに自己紹介と年齢を公開しました

そのときにもう一人話せる友達ができて、なんだか気分が軽くなりました

あっという間に1時間が経ってしまい、看護師さんが来ました

2人にまたねと別れを告げ、私は保護室に戻りました。

 

部屋に帰った後は精神科病棟にいる現実を受け入れつつ、ユキちゃんってどこか

見たことがあるな。なんだろう。

そっか、私の死んだ祖母にそっくりだ(母方)今度ユキちゃんに教えてあげよう

また会えるのが楽しみだなあ。

あと部屋はやっぱり変えてほしいから医者と話さないとダメだ

そう思った

味気ない入院生活に彩りが出てきました

 

***********

 

後日、またユキちゃんに会うと私の死んだ祖母に似ていることを伝えると

喜んでいました(あと私の母と年齢が一緒)

あと入院生活について色々聞きました

精神科病棟にいる人は皆心が優しいから心配しなくて大丈夫

ここの部屋は経過がよくなるごとに

保護室→個室→大部屋→退院

となるそう

(ちなみにユキちゃんは大部屋でした)

なんでも医師の許可が必要

ペンや紙を使用する許可 テレフォンカードを使用する許可など

少しずつよくなるように過ごそうねと言ってくれた

そして私の入院施設案内の紙に

のんびりであったかくすること

私の人生は前向き

子育てを楽しむ

と書いてくれた

 

そしてユキちゃんに出産やマタニティ入院での出来事を伝えると

あなた苦労したのね大変だったわねと共感してくれました

私は心の底からの共感をずっと求めていたんだと気が付くことができた

また通常の出産だったのならなんで今入院しているんだろうねという話になり、

病名が気がかりになりました

ユキちゃんともう病気じゃないのかもねなんて話しつつ

主治医に病状説明を求めることを決意した

 

ここは閉鎖病棟の保護室

目が覚めると木目調の天井があった

看護師らしき人から目が覚めましたか?と言われ

母乳で胸が張っていたためアイスノンを手渡された

なぜか知らないけど私はまた入院したらしい

父親と母親に面会したいと言ったけどダメだった

とりあえず朝食を口にした

回診の医者には現実ハイとサンキューのコールアンドレスポンスを求めた

(何人かコールアンドレスポンスに答えてくれた)

しかし医師が通常の意思疎通ができないと判断され部屋を

移動することになった

1月25日

※他の患者との人間関係を著しく損なうおそれがある等、その言動が患者の

病状の経過や予後に悪く影響する状態

 

私はてっきり大部屋に移されるのかと思い、人見知りな性格なんで大部屋とか苦手なんですよねなんて看護師に話していた

看護師さんはそんなことないですよさあ移りましょうねなんていって

まんまと部屋を移されてしまった

 

部屋に入った瞬間に騙されたことに気づいた

大きな声とかもう出さないから部屋を変えてといっても遅かった

内装は刑務所

ふたなしのトイレと簡易ベッドしかない殺風景な部屋

持ち込みは施設案内の紙と搾乳機とナプキンだけが許されました

出して出してと言っても許されず

防音使用の部屋なのに他の部屋の歌声や怒鳴り声が聞こえて怖かった

なにより怖いのはベッドに身体拘束用のベルトがついていて

いつでもお前を縛れるんだぞと言われているようだった

ひとしきり大声を出したあともう部屋変更は無理だと諦めた

そしてなぜ自分は入院しているのか医者に聞くことを目的にしました

 

回診のときに医者に聞くとあなたはこころの病気ですと言われた

(医者が婦人科医なのか精神科医なのかすらわかっていなかった)

まずはここの部屋から出る時間を増やすことを目的にしましょう

主治医の私が見ていなくても他の医師や看護師があなたの様子を監視

していることをお忘れなく

 

そこからはもう部屋で寝るかこころの声をちゃんと聞くかご飯を食べるかの選択肢しかなかった

 

こころの声を聴くときはマタニティの入院でなにがつらかったんだろう

あのときどうすればよかったんだろうと考えた

いくら考えても病院には怒りしか感じず、その怒りをよく精神科医にぶつけていました

この病院の婦人科医は精神がおかしくなっても気が付いてくれなかった

私はずっとつらかったと

またここの内装があまりにも刑務所に似ている(ドラマなどで見るような)ので

私は本当に人を殺めていないか心配になり、よく看護師に確認をした

(人殺してないよね?って)

 

そして保護室で5日ほどたったときに医者に何に恐怖を感じていますかと聞かれたときに

入院が怖いのに今入院をさせられていることが怖い

そう回答できたときに医師に隔離解除と言われ

一時間の自由時間が与えられました(本当に刑務所)

そして忘れもしないユキちゃんとの出会いが待っていました

 

あとがき

やっとユキちゃんとの出会いの前まで書けました

長かったこれからはのびのびと書ける

今は思い出しながら書いているのですが、今後当時の日記の原文をそのまま書いていきたいと思います

救急搬送

夫からその日の午前中に病院を受診しようと言われていたが

何となく行く気になれなかった

体がだる重い感じがした

ここからの記憶は不明確で自信がない

あやふやながらに説明していく

 

病院に行く前日から母親に母親のときの出産(私を産んだ時)や

産後の様子を聞いても教えてもらえなかった

そのときのストレスが溜まり

病院に行く当日に

「なんで教えてくれないの!!」と

母親の胸倉を掴んで逆上したらしい

そして母を隅に投げ込んだ

夫が駆けつけると私は大きな声で発狂したそうだ

「うわぁー救急車呼んで」

 

****私の精神世界****

母親に話を聞いているだけなのに母は泣いていて話をしてくれない

(私が逆上しているため泣かせてしまった様子)

自分が閉じ込められているようで、狂暴な私が暴れまわっている

夫はタクシーで病院に行こうと言っていたがそれどころじゃない救急車だと

思った

腕切りまーすという声が頭に響き渡り絶叫してしまった

なんだが腕が痛くなってきた

そして母親からあなたはもう赤ちゃんにかえっていい 何も考えなくていい

(身の回りのことをしなくていいという意味)

その言葉が頭を駆け巡り、私は赤ちゃんの泣き声を出していた

「おぎゃーおぎゃーおぎゃー」

だんだん呼吸が苦しくなって泣き声すら出せなくなって

救急車はまだかと思った

薄れる意識のなか

ご先祖様の家系図が一気に目の前に広がり

一族の仇を取ってくれとどこからともなく聞こえた

そして私はお腹が痛み出し深呼吸をした

また私の体の中での出産が始まった

出産の手順が聞こえてくるのでその指示に従って体制を変えたりした

出産の痛みを体現できるただ一人の人間なのだと悟り悲しくなった

そんなとこをしている間にヘルメットをかぶった男性が3人現れた

*************

 

私はなぜか救急隊員にちゃんと救急車で来たか確認

「赤い車でちゃんときた?」

「どうせまた運んでくれないんでしょ」

名前確認などを全部拒否

そうしている間に暴れながら屈強な男性3人に担がれ救急車に乗った

 

救急車に乗っても不安な気持ちが出てきたため

夫に

「現実ハーイ!!現実ハーイ!!」って言って

救急隊員の方にもコールアンドレスポンスを要求した

(忙しいのに)

なんとか病院につくと場面展開が変わった感じがした

ここ病院ですよと言われても信じられなかった

私は病院が信じられない人間になっていた

「あなた本当に医者?ちゃんと免許もってる?」

「あなたも本当に看護師?免許忘れたとかないよね?」

「お芝居だったらしゃれにならないからね。怒るよ」

「私が認めた医者は6人しかいないけど、あなたたちはどっちなの?」

とにかく大声で叫びまくってた

タンカーでCT室に入るところから意識が途絶えてしまった

 

意識が戻ると私の父と夫が医師と面談をしていた

大変だったでしょう

全治3か月ですなどど聞こえてきて誰のことをいっているんだろう

私の赤ちゃんは?

 

意識を取り戻し、看護師からざっくり館内案内を聞くとどうやら

私が入院するらしい

こんなちゃんと説明もしないような病院は嫌だといったが聞き入れてもらえず

私1人で入院となった

(マタニティと精神科は同じ病院だったため)

夫からは

「ゆっくり療養して」

「もう大丈夫だから」

状況がうまく呑み込めていないが

それだけを聞いて入院病棟に入れられてしまった

私は暴れまくっていたが注射でも打たれたのか夜には眠ってしまった

自宅編

マタニティの病棟では言いたいことを言いまくって

何とか退院した。

そのころに荷物の整理が自分でできなくなり、ヘルパーさんにお願いした。

(もともとそのサービスがあるのは分からない)

夫には、病院で大暴れしてやったと明言した。

 

やっとの思いで、タクシーにのり自宅に帰宅した。

家に帰ると、自分の家は見慣れているのに

見たことがないような不思議な感覚があった。

入院が長いとこんな感覚なのかと思いあまり意識しなかった。

 

育児では、ラッチオン問題に悩んでいたが明日母親がくるので

何とかなるだろうという気持ちになった。

 

実際に家で育児をしてみると、記録をつけろとうるさく言う人はいないし、

3時間3時間と時間に追われる感覚がなかったので、楽だった。

急に肩の荷ががくんと下りた感覚になった。

今までずっと緊張していたことに気がついた。

だんだんと手が震え始めたり、体が寒い気がしてきた。

自分の体調がどんどん悪くなりはじめた。

 

そして、夫とは初めて夫婦喧嘩をした。

内容はマタニティの退院時にマタニティの責任者から

あなたの奥さんはうつ病かもしれないので見張っておいて下さいと言われたそうだ。

私は病気の自覚がまったくなかったので、見ず知らずの女性のいうことを聞くのか

と迫りました。

夫はだだ言われただけで、信じていないと言っていました。

 

そのころから主語がないと誰が何を言ったのかわからなくなってきました。

もう疲労が限界まできていたので、夜間授乳は夫にお願いして私は寝ました。

 

あっという間に両親がくる時間になり、

そのころにもまた夫と私が喧嘩をしてしまったため

私は家を飛び出すように駅まで両親を迎えに行きました。

出かける際中、横断歩道に飛び出しそうになりましたが

赤信号だったためなんとかふみどとまりました。

気が付いたら目から涙があふれ出していて、改札前で号泣していました。

子供のようにわんわん泣いてしまって止まらなかった。

私の理解者に早く来てほしくてしょうがなかった。

 

両親が来るのが遅かったので、駅前のマックでコーヒーを飲むことにしました。

久しぶりのマックはとても刺激的な建物に感じました。

まるでパーティー会場のように人がいっぱいで不思議だと思っていました。

コーヒーを頼みましたが、私の後ろに長蛇の列を作っても申し訳ないと

感じないようになりました。(出産前なら申し訳ない気持ちでいっぱいでした)

私は泣きながらコーヒーを飲み、両親を待ちました。

しかし、両親は一向に現れなかったので

我慢できず夫の姉に電話をしていた。

義理姉は3か月前に2人目を出産したばかりだったため私の気持ちが分かってくれるだろうと思っていた。

夫が私の出産の苦しみをわかってくれなかったといった内容を伝えたが、

回答はそりゃ男の人は出産の痛みなんてわかんないよといったものだった。

私は共感重要視人間になってしまったらしい。

ちなみにお姉さんはスポ根で産めたらしい。

拷問に耐え忍んで産んだ私とは感覚がまるでちがった。

病院の対応にも問題があることを伝えるも私にも非があるのではないかという指摘から

涙が干上がっていった。

やはり100%味方でいてくれるのは両親しかいないと思い、電話を切った。

 

そうしている間に両親がきたため、今までの顛末を説明し夫を怒ってほしいと

力説していた。

父からも説明があったが、1人目のお産はあまり進まないらしくお母さんのときもそうだった話を聞いてなんだか安心した。

母は一度訪ねるつもりだけだったが、自宅にずっと泊まることになった。

(私の様子がおかしかったため)

両親が来たことで緊張の糸がまた切れていった。

母と一緒に子育てをしたことで、これからやっていけそうな自信を持てた。

そのころから、あまり食べ物が食べられなくなったり

同じ話を何回も繰り返してしまうことがあった。

ついには酸素不足を感じて倒れ、救急車を呼んだが運んでもらえず

(酸素は足りているとのこと)

そのまま自宅で過ごしていた。

夫からやはり精神科で見てもらおうと改めて言われた。

私は受診するとしても外来を希望していた。

では、明日病院に行こうということで話がまとまった。

 

次回 救急搬送編

 

マタニティ入院編 3日目から最終日

朝目覚めると、胸が岩みたいに痛かった。

助産師に聞くと、前日あまり授乳をしなかったからだ。

そして、もうここから赤ちゃんには母親がいなければと思い込んでしまった。

新生児黄疸もひどいし、ミルクが全然足りていなかったみたいだ。

人に頼らず、自分の力でやろうと決心した。

 

授乳では特にラッチオン問題に苦労していた。

ラッチオンとは乳首をくわえさせることだ。

なかなかうまくいかず、赤ちゃんの口が小さいからですね。

こんな口が小さい子みたことないと言われた。

こんなことを言われてもしょうがないんだと自分を信じ込ませていました。

母乳が出るのに、くわえられなかったので

手搾乳という作業が増えた。

手搾乳するのは胸が痛くなった。

そして、

手搾乳(何ミリ)→ミルク(何ミリ)

これを記録して、数字を計算することがしんどいと思えてきた。

記録を書き忘れると、なんで書かなかったんですか

これくらいやってくださいと怒鳴られた。

私はテストの問題をやっているのか育児をしているのかわからなくなった。

このころから、病室に鍵がかからず業者や回診の医者などはどんどんくるので

部屋にどろぼうが入ってくる感じがずっとしていた。

疲労度は0時まで残業したときのようなけだるさを感じていたがなんとか耐えた。

 

そして退院時診察を迎えることになった。

4日目

私は、診察室に行き

分娩台で吸引分娩の傷を見せた。

傷が痛くてしょうがないので、ロキソニンをありったけくださいと言ったが

10日分しか出せない。そんなに痛くないはずだと言われ、それ以外の場所が悪い可能性があると言われた。

私は、それを聞いて感情が爆発した。

「ずっと分娩中先生が怖かった。

出産してから人生観が変わって人見知りだったのが、社交的に明るくなった。

出産ってすごいんですね。」

「そこまでの経験をする人はいません」

そう言われて大人気もなく泣いてしまった。

医師からは

「休養をとってください」と言われた。

私は病棟に戻り、日中は赤ちゃんを新生児室に預けっぱなしにした。

もう限界なのだと思いまた母親に電話した。

 

夜勤担当の助産師は、新生児室にいた我が子を連れてきて世話をしろといってきた。

私は休養をとれと言われたので夜は無理だと伝えたが、それでもやりなさいと言われた。もうこの病院に入院した以上この人の言うことをきかなければならないんだと

思い、残る力を振り絞って世話をした。

(あとから分かったことだが夜勤の助産師に休養が必要なことは伝わっていなかった)

そのときに心にヒビが入った音がした。

もうお母さんになったから心の声は無視しようと決めた。

 

退院日当日

なんとか3時間ルールを守り、ラッチオン問題を抱えながら退院することになった。

部屋に医師が来て、急に

「あなたは心の病です。何曜日に受診しますか」

私の頭は真っ白になった。

もう今が何月何日何曜日なのか分からないし、私が心の病?

冗談でしょ。

端的に言うと私は医師にキレてしまった。

どんな言葉で罵ったのか覚えていない。

医師は諦めたような顔をして去っていった。

 

時がどれくらい経ったのかわからないが眼鏡をかけた女性がきた。

どうやら退院時担当責任者らしい。

もうこの際だから病院の不満を全部ぶちまけてしまおうと思った。

医師が患者に冷たいこと

助産師が心に寄り添った対応をしてくれなかったこと

全体的に説明不足なこと

 

私は大きな声を出すつもりはなかったが、どうやら大きな声で話してしまったらしい。

女性は私の話を傾聴して、もう寝なさいと言ってくれた。

どうやら寝不足だったらしい。

やったーと喜んでベッドに寝てしまった。(子供は新生児室に預けた)

退院時のめんどうな手続きは、マタニティ責任者と夫とでやってもらった。

 

私は1時間ほど本当に寝てしまった。いままでの入院生活で一番寝た気がした。

最終的に別れ際には感動っぽくなりいつでも子育てのことで悩んだら

相談していいと言われた。

建前かと思ったが、額面通り返事をした。

通常11時に退院するところが16時になってしまった。

(とんだクレーマーだ)

もう、病院でゆっくりすることはできなかったが

家でゆっくりできればいいと思った。

 

次回

自宅編につづく

 

あとがき

相当病んでますね。そりゃ心の病ですって言われるわ。

(言い方がむかつくけど)

心が疲れていませんか?とかもっと言い方があると思うんですよね。

幻聴が聞こえてたから言えばよかった。

なんとかマタニティ編が終わったので次回は自宅編です。